Southeast Asia & Northeast Japan
東南アジアのリサイクルの現場と、東北地方の震災の現場を二つ見て歩いて、気づいたこと、感じたことをまとめていきます。
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3月11日に見た光景は、過去に起きたこと、ではありません。
これから、「ここ」で起きることです。
その時になれば、私たちは逃げるしかありませんし、
逃げた先で暮らさねばなりません。
水も、電気も、ガスも使えないところで、
場合によっては、100日以上も。
それはいわゆる「東南アジア」の日常です。
より良く生きるためには、包装された製品だけではなく、
モノそのものを活かすことが必要になります。
そのゴミ袋の中の空き缶は、ランタンになるかもしれません。
読み捨てた新聞紙は、防寒具になるかもしれません。
潰して道路に投げたペットボトルは、お皿になるかもしれません。
工夫するという智恵を持てたなら。
さらに一歩進めて、日常にあふれているモノに、
「いざというとき」の仕掛けがあればいいと思います。
たとえば、空き缶のラベルに点線が入っていて、
こう切り開けばランタンになるよ、
こう切り開けばご飯が炊けるよ。そう教えてくれたら?
忘れっぽい私たちでも、モノを活かすことができます。
このプロダクツは、
豊かな地域の「いざというとき」だけでなく、
世界中の貧困地域での日常で重宝されます。
大きな市場が隠れているのではないでしょうか。
逃げたその先にだって、やっぱり、モノはあるんです。
それをゴミと呼ばない社会のほうが、しなやかに復興できる社会なはずです。
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