人にすすめられて『未曾有と想定外――東日本大震災に学ぶ』を読んでみた。著者は、畑村洋太郎。
wikipediaにはこうある。「畑村 洋太郎(はたむら ようたろう、1941年1月8日 - )は、日本の工学者、工学博士。工学院大学グローバルエンジニア学部、機械創造工学科教授。東京大学名誉教授。東京都出身。専門は失敗学、創造的設計論、知能化加工学、ナノ・マイクロ加工学。 最近では、ものづくりの領域に留まらず、経営分野における『失敗学』などにその研究を広げている」
著者のwebサイト「畑村創造工学研究所」には「失敗知識データベース」というコンテンツがある。ページのTOPには、機械、科学、建設、航空・宇宙といったそっけない16分類の目次。しかしその中には、膨大な失敗事例が詰まっていた。「東京ビッグサイトエスカレータ逆走」「パロマ湯沸器事故」「チェルノブイリ原発の爆発」「タイタニック号沈没事故」など、古今東西の失敗。その概要と経過、原因、そして背景。事例を数えてみたら、1,283あった。もの凄い情報量である。
そうした「失敗学」の専門である著者は、現在、福島原発の事故調査委員長を務めている。「委員になると、報告がまとまるまでは原発事故に関して、知り得た事実を自由にオープンにすることはできません。そこで駆け足でこの本をまとめることにしました」と冒頭にある。「おわりに」に記載された日付は6月6日なので、震災から3ヵ月足らずでこの本は書き上げられたことになる。
以下、本の内容を簡単にまとめる。
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「未曾有」ないし「想定外」という言葉を、思考停止の免罪符に使ってはならない。三陸地方は、この100年の間に4回も大津波に襲われている。東日本全域へ大きな被害をもたらした地震も、1200年前に起こっている。歴史と同じように、自然もまた繰り返す。寺田寅彦は「自然ほど伝統に忠実なものはない」と指摘している。けっして今回の震災は「未曾有」のできごとではない。また、そもそも物事を安全に運営するうえで、「想定」するのが専門家の責務である。諸条件をつねに問い直して、なんとなれば自分がテロリストになったつもりになって、危険を見つけ、「想定」するのが専門家のなすべきことである。想定外のことが起こったのではなく、なにも考えていなかっただけだ。
「忘れる」という大原則がある。
・人は忘れる。3日で飽き、3ヵ月で冷め、3年で忘れる。
・組織は忘れる。人が入れ替わる30年で、その記憶は途絶える。
・地域は忘れる。人が死ぬ60年で、その記憶は途絶える。
・社会は忘れる。300年経てば、それはなかったことになる。
・文化は忘れる。1200年経ったそれは、存在しなかったことである。
警告を対策につなげるには、この忘れっぽさを考慮しなければならない。
津波対策には二種類ある。一つは、防潮堤などハード面で「対抗する」。もう一つは、避難訓練などソフト面で「備える」。高度経済成長期から、日本では前者が優先されるようになった。世界一の堤防をつくり、これで安全だと信ずるようになってしまった。実際にチリ地震の津波は防げたので、その経験を知る人ほど、逃げるのが遅れた。ソフト面での成果もあった。釜石市の学校では、「逃げろ」と教えていた。防災授業のまえに、地震が起きたらどうするか? という問いに「親が帰るまで待つ」「お母さんに電話する」と答えていた小・中学生は、率先して逃げた。規定の避難所ではなく、もっと高台まで逃げた。「自分で見て、自分で判断して行動する」ことができた。人口の3%が亡くなった釜石市で、登校していた小・中学生の生存率は100%だった。確実に助かるためには、中途半端に対策をして安心するよりも、つねに危険を意識して暮らした方がよいのかもしれない。
有珠山には、噴火の直撃を受けた菓子工場など、悲惨な場所をあえて残しているジオパークがある。つらい記憶を思いだすことを避けたい気持ちは分かるが、未来に「逃げない」人をつくらないためにも三陸版のジオパークをつくって欲しい。その場所が海岸沿いに住む全国の小中学生の修学旅行先になれば、またとない教育になる。
原子力に怖さを感じていた理由の一つは「原発は絶対に安全です」という言葉だった。反対派との敵対関係のなかで、殻を閉ざし、正当性のみを主張する姿勢があった。柏崎刈羽原発の事故後に、自然災害による事故の危険性を東電幹部に伝えたが、返ってきたのは「原発は絶対に安全だから大丈夫です」という答えだった。
今後同じような事故を起こさないためには、単に誰かを批判するのでも、事実の後追いをし続けるのでもなく、今回の原発事故に学び、新たなことが起こるまえに問題提起をして、危険因子を取りのぞかなければならない。
いつでも、どこでも、いくらでも電気を使いたいという社会のニーズに原発は最適だった。それは議論の前提である。リスクとベネフィット、両方のバランスをみて、技術を活用していく必要がある。
日本人とは、自然災害から学んできた人びとのことである。
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南三陸町では震災のメモリアルとして庁舎を残す計画があったが、住民の反対によって、取り壊しが決まったそうだ。
3ヵ月の復興支援業務を終えて、東京に戻り、感じたことは、こちらではもう震災は終わっているんだな、と言うことだった。
「次」に「ここ」で起こる災害は、想定内だろうか。
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