牛。人。牛。人。人の群れと、牛の群れ。そのすぐ脇をブルドーザーが押し通っていく。彼らが立っているのは、大地ではない。もち米を包んでいた笹の葉やバナナの皮、鶏の骨、ビニル袋、空き缶、新聞紙などが混ざり合い積み重なり合い、山となった場所だ。
PIYUNGANゴミ処理場。インドネシアの古都、ジョグジャカルタ市のゴミが廃棄され、埋め立てられる場所だ。
ゴミ捨て場と、そこに住むスカベンジャーと呼ばれる人びとならば、各国で見てきた。使いかけの香水の小瓶を拾い、娘へのプレゼントができたと喜んでいた姿を間近にした。フィリピンにも、タイにも、東ティモールにもそうした人びとはいた。
しかし、ここには牛がいる。
牛たちは、毎日、近くの家々からこの場所に連れてこられているそうだ。生ゴミを食べさせるために。インドネシアでは生ゴミ処理に躍起になっていることは、これまでの記事でお伝えしてきた。この方法をとれば、生ゴミを処分できるだけでなく、牛の餌代もかからずにすむ。一石二鳥というわけだ。
バイク屋台でミートボールを売っているAliに話を聞いた。
「あの牛は育ったら、イスラムのお祭りの生け贄に使うんだ。成牛はバイク一台が買える値段だよ(12,000,000インドネシア=約120,000円)。」
生ゴミを牛に食べさせる取組は、もともとソロ市で行われており、数年を経て、ここPIYUNGANゴミ処理場にもやってきた。研究機関によれば、食用にしても問題ないらしい。
「ぼくは平気、食べられます」
同い年でここまで案内してくれた、Rafikは面白そうに携帯で撮影していた。
見方によっては、見事な工夫である。面倒なコンポスト化など必要なく、ゴミを削減でき、食料も生産でき、貧困層への収入源も確保できる。その証拠に、スカベンジャーはしっかりとした家に住んでいた。
頭ではそう理解できる。
時刻は午後三時。日差しは殴りつけてくるかのように熱く、砂ぼこりは舞い、生ゴミのすえた匂いが質量をもって襲ってくる。
そうしたことには慣れたけれど、
ゴミ捨て場にたくさんの人がいて、車から投棄されるたびに歓声を上げて拾っていく。
そうした光景も見てきたけれど、
牛?
数十頭の牛たちが、生ゴミをせわしなく食んでいる。子牛の口からビニル袋を垂れている。
人があさるほうが、よっぽどひどい光景じゃないか、と思うのだけれど、その生々しさに圧倒されてしまった。
「帰ろう」
ガイドのRafikにそう告げた。
その夜、ここに埋まって、彼らに食べられる夢を、見た。