
松ぼっくりをくしゃっと踏んだ。
灯りがつかない家の中は、昼でも薄暗かった。畳がめくり上がり、タンスが転がり、茶碗が散乱し、あらゆるものが泥にまみれていた。表面には枯れた松の葉が堆積している。防風林の松の木がどれだけ流されたのか、これだけでも分かるというものだ。
5月13日、仙台市若林区蒲生で、家屋清掃のボランティアに参加した。
玄関の段差を台車で越えられるように畳を橋がわりにして、泥をシャベルでかき出していく。洋服ダンスは水を吸って着物が膨れあがり、思うように引き出しがあかない。粉塵が舞う中、作業を進めていく。7人がかりでも重労働だ。
ごめんなさいね。ボランティアをお願いしちゃって。自分だと、気が滅入っちゃって体が動かなくて。お昼休憩時、その家の奥さんが申し訳なさそうに言う。いやいや、気にせずになんでも言ってください。そう答えて、作業を続ける。
泥のなかから冊子をみつけた
アルバムだった。
写真があったことを告げると。ふっと、奥さんの表情が和らいだ。
「ありがとう。ほかにも見つけたら教えてくださいね。思い出が無くなるのが、いちばん辛いから。」
そういって彼女はだいじに写真を並べて、乾かしはじめた。

南三陸町の及川善弥さんも、泥のなかから希望を見つけた一人だ。彼は、南三陸町志津川で130年続く老舗かまぼこ店の6代目。
家も工場も店舗も事務所も、すべて流された跡地で、一本の包丁を見つけたという。かまぼこ作りに欠かせない、自分の名を刻んだ、愛用の包丁。震災後、見つかった唯一の商売道具だ。その日は奇しくも、祖父の命日だった。
「まだやれってことかな」
彼は今、仙台市にアパートを借り、タラコなどを仕入れて、青葉区の青空市場に出展している。

その青空市場"マルシェ・ジャポンセンダイ"では、「希望の缶詰」が販売されている。それは、津波被害をうけた場所から"発掘"された高級サバ缶だ。
石巻市で50年にわたり、海の幸を缶詰に加工販売してきた「木の屋石巻水産」。津波により工場の施設は流されて、瓦礫が詰まり、使える状態ではなくなった。
だが、工場の瓦礫の下に、大量の缶詰が埋まっていた。
毎年秋に石巻港で水揚げされる大型の鯖"金華さば"だけを使用した、こだわりの缶詰だ。ボランティアの協力も得て、10,000缶以上の缶詰を拾った。震災当初、まだ物資が行き届かないころは、この缶詰が避難所の元気の源になった。いまは、マルシェをはじめ、各地で「希望の缶詰」として販売されている。衛生面から、もともとのラベルはすべて剥がされ、徹底的に洗浄されている。
「だからどの味が当たるかは、お楽しみです」
タグにはこう書かれていた。
「この『発掘缶』には、
・震災の記憶から立ち直り、前を向いて歩きたいという石巻の人々の想い
・工場はなくなってしまったけど、一歩ずつ、少しずつでも復興を進めていきたいという私たち社員全員の想いが詰まっています。』
環境省によると、災害廃棄物の撤去率は、9月15日時点で55%。
あとどれだけ、希望を掘り出せるだろう。