2011年09月30日

世界を変えるデザイン

『世界を変えるデザイン』(シンシア・スミス編 槌屋詩野 監訳 北村陽子 訳 2009年 英治出版)を読んだ。これは、2010年の5月にミッドタウンで開催された『世界を変えるデザイン展』の元となった本だ。 


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この本で紹介されている製品のいくつかは、実際に東ティモールで見てきた。

原題は "DESIGN FOR THE OTHER 90%"。世界の人口のうち、先進工業国に住む富裕消費者は、わずか10%。このブログにアクセスできて日本語が読める人は、ほぼ確実にこの層にあてはまる。

THE OTHER 90%(残りの90%)は、水や住まい、食べもの、移動手段、医療といった、あたりまえに思えるニーズが満たされていない。生きることができ、教育が受けられ、収入を増やす。そのために、デザインはできることがある。

250ドルの貯水タンクを、40ドルで作るには?
菜園用の給水システムを、3ドルで作るには?

「彼ら」のニーズを満たし、かつ手に入る価格の製品を作ることができれば、農業生産が向上し、収入が増え、生活水準が向上する。しかも、地球の人口の90%、莫大な市場だ。ポール・ポラックは低価格デザインの意義をこう答える。「それがお金になるからだ」。


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世界中で5歳以下の子供の死亡原因の一位は、呼吸器疾患だそうだ。原因は、屋内調理の煙を吸い込んだため。より良質な燃料を作る技術を提供できれば、健康にはもちろんのこと、森林伐採による環境破壊、ひいては、家計の助けにもつながる。

MITが開発したのは、薪とドラム缶とサトウキビとキャッサバで炭を作る方法だ。

「おそらく、ここ数年、あるいは数十年にMITから出た技術のなかでもっとも単純な技術だろう。だが世界中の何百万人もの人びとの生活に今すぐ大きな影響を与える可能性を秘めている。」MITの講師であるエイミー・スミスは、デザインには"共感的理解"が必要だと、学生たちに1日2ドルで一週間暮らすことを課している。

こうした、新しいデザインの考え方は、途上国のみに適用されるものではない。先進国にもまた貧困は存在し、また拡大する。たとえば「災害」によって。本書で紹介されているのは、アメリカのメキシコ湾沿岸を襲ったハリケーン「カトリーナ」後の復興プロジェクトだ。

カトリーナの被害を受けて倒壊した建物の木材を活用し、家具を作るプロジェクトが展開されている。このプロジェクトは「家具を作ること」が目的なのではない。被災者に家具を作る技術や工房の運営、マーケティングを研修で伝え、「経済的に自立させること」を目的としている。回収された糸杉やダイオウ松が、破壊された教会の信者席や、移り住んだ人びとの思い出のテーブルとなって販売され、スツールとして大量生産されて、量販店に並んでいる。


日本でも、東日本大震災を受けて、倒壊した建物の建材、あるいは流木を部品の一部にして、和太鼓やギター、ウクレレといった楽器を製造・販売するプロジェクトは始まっている。(ZERO-ONE PROJECT

"可能性"の話でいえば、気候変動と資源の枯渇が進み、先進国が「残り90%」に入る可能性もある。10年後か、50年後か、300年後かは分からないが。「世界を変えるデザイン」は、その時のための備えでもあると思う。


2011年09月29日

音楽は被災地になにをできたか

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ドン!

体育館いっぱいに広がったそれは、耳で聞くのではなく、丹田で感じるような、力強い音。和太鼓が、聴くだけで元気が出る楽器だと、はじめて知った。

和太鼓奏者、上田秀一郎による演奏だ。氏は復興支援のため「光灯せし希望と祈りの太鼓」プロジェトを立ち上げ、これまでに相馬市合同慰霊祭、南相馬市原町第二中学校、サンピア仙台、登米市津山若者総合体育館、志津川ホテル観洋、仙台市宮城野区東宮城野小学校、仙台市宮城野区「見瑞寺」チャリティー演奏、女川第一中学校、女川総合体育館、石巻市渡波小学校、石巻市北上町子育て支援センターなど、各地での演奏を続けている。体育館で聞いた小学生は「かっけー」「すごいね」とみとれていた。

元気。何よりも復興に必要なものを、届けている。


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彼がステージに上がったとたん、会場にさっと華やぎがおりた。

お姉さん・お母さん・おばあちゃん。女性陣が色めきたったのがわかる。表情がちがう。「米米CLUB」のボーカリスト、石井竜也の登場だ。石巻市の避難所渡波小学校でのサプライズライブ。彼もまた、故郷の北茨城市が津波被害を受け、実家も思い出の品も全て流されてしまったという。そんな自分自身に聴かせるかのように制作した震災応援ソング「つよくいきよう」を、思いを込めて、全員で斉唱した。避難所のリーダーの高橋氏の奥さんは、石井竜也の大ファン。

「あんたと結婚してはじめてよかったと思ったわ、なんて言われましたよ」

被災地に「休日」が届けられた瞬間だった。


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「ガッツだぜ!」

会場中がこぶしをあげて熱唱する。トータス松本が出演した、仙台市の三井アウトレットパークで行われた復興イベント"LIGHT UP NIPPON"の最後のステージだ。何度も、何度も、全員で声を張り上げる。もともとお祭り好きな人びとなのだ。盛りあがる。

明日をちょっとよく生きるための今日。


音楽はずっと鳴り響いたわけではなく、長い被災地の「日常」から見ればばほんの一瞬だったかもしれない。けれど、聴く前と聴いたあとでは、少しだけ世界が違って見えたと思う。


2011年09月28日

『木質系ガレキを肥料に変える石巻のチャレンジ』

"Think the Earthプロジェクト"の地球ニュースに『木質系ガレキを肥料に変える石巻のチャレンジ』というタイトルで記事を掲載してもらいました。津波によって生じたたくさんのガレキ。その中でも建材や流木といった木質系のガレキをコンポスト化して"肥料"にする取り組みが宮城県石巻市で行われています。詳細は記事をぜひご覧ください。


2011年09月27日

エマージェンシーデザイン

ゴミタビ 世界のいる/いらないを見てまわる。
Southeast Asia & Northeast Japan

東南アジアのリサイクルの現場と、東北地方の震災の現場を二つ見て歩いて、気づいたこと、感じたことをまとめていきます。

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3月11日に見た光景は、過去に起きたこと、ではありません。
これから、「ここ」で起きることです。

その時になれば、私たちは逃げるしかありませんし、
逃げた先で暮らさねばなりません。
水も、電気も、ガスも使えないところで、
場合によっては、100日以上も。

それはいわゆる「東南アジア」の日常です。
より良く生きるためには、包装された製品だけではなく、
モノそのものを活かすことが必要になります。

そのゴミ袋の中の空き缶は、ランタンになるかもしれません。
読み捨てた新聞紙は、防寒具になるかもしれません。
潰して道路に投げたペットボトルは、お皿になるかもしれません。
工夫するという智恵を持てたなら。

さらに一歩進めて、日常にあふれているモノに、
「いざというとき」の仕掛けがあればいいと思います。
たとえば、空き缶のラベルに点線が入っていて、
こう切り開けばランタンになるよ、
こう切り開けばご飯が炊けるよ。そう教えてくれたら?
忘れっぽい私たちでも、モノを活かすことができます。

このプロダクツは、
豊かな地域の「いざというとき」だけでなく、
世界中の貧困地域での日常で重宝されます。
大きな市場が隠れているのではないでしょうか。

逃げたその先にだって、やっぱり、モノはあるんです。
それをゴミと呼ばない社会のほうが、しなやかに復興できる社会なはずです。


2011年09月26日

人間は忘れる。『未曾有と想定外――東日本大震災に学ぶ』を読んで

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人にすすめられて『未曾有と想定外――東日本大震災に学ぶ』を読んでみた。著者は、畑村洋太郎。

wikipediaにはこうある。「畑村 洋太郎(はたむら ようたろう、1941年1月8日 - )は、日本の工学者、工学博士。工学院大学グローバルエンジニア学部、機械創造工学科教授。東京大学名誉教授。東京都出身。専門は失敗学、創造的設計論、知能化加工学、ナノ・マイクロ加工学。 最近では、ものづくりの領域に留まらず、経営分野における『失敗学』などにその研究を広げている」

著者のwebサイト「畑村創造工学研究所」には「失敗知識データベース」というコンテンツがある。ページのTOPには、機械、科学、建設、航空・宇宙といったそっけない16分類の目次。しかしその中には、膨大な失敗事例が詰まっていた。「東京ビッグサイトエスカレータ逆走」「パロマ湯沸器事故」「チェルノブイリ原発の爆発」「タイタニック号沈没事故」など、古今東西の失敗。その概要と経過、原因、そして背景。事例を数えてみたら、1,283あった。もの凄い情報量である。

そうした「失敗学」の専門である著者は、現在、福島原発の事故調査委員長を務めている。「委員になると、報告がまとまるまでは原発事故に関して、知り得た事実を自由にオープンにすることはできません。そこで駆け足でこの本をまとめることにしました」と冒頭にある。「おわりに」に記載された日付は6月6日なので、震災から3ヵ月足らずでこの本は書き上げられたことになる。

以下、本の内容を簡単にまとめる。
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「未曾有」ないし「想定外」という言葉を、思考停止の免罪符に使ってはならない。三陸地方は、この100年の間に4回も大津波に襲われている。東日本全域へ大きな被害をもたらした地震も、1200年前に起こっている。歴史と同じように、自然もまた繰り返す。寺田寅彦は「自然ほど伝統に忠実なものはない」と指摘している。けっして今回の震災は「未曾有」のできごとではない。また、そもそも物事を安全に運営するうえで、「想定」するのが専門家の責務である。諸条件をつねに問い直して、なんとなれば自分がテロリストになったつもりになって、危険を見つけ、「想定」するのが専門家のなすべきことである。想定外のことが起こったのではなく、なにも考えていなかっただけだ。

「忘れる」という大原則がある。
・人は忘れる。3日で飽き、3ヵ月で冷め、3年で忘れる。
・組織は忘れる。人が入れ替わる30年で、その記憶は途絶える。
・地域は忘れる。人が死ぬ60年で、その記憶は途絶える。
・社会は忘れる。300年経てば、それはなかったことになる。
・文化は忘れる。1200年経ったそれは、存在しなかったことである。
警告を対策につなげるには、この忘れっぽさを考慮しなければならない。

津波対策には二種類ある。一つは、防潮堤などハード面で「対抗する」。もう一つは、避難訓練などソフト面で「備える」。高度経済成長期から、日本では前者が優先されるようになった。世界一の堤防をつくり、これで安全だと信ずるようになってしまった。実際にチリ地震の津波は防げたので、その経験を知る人ほど、逃げるのが遅れた。ソフト面での成果もあった。釜石市の学校では、「逃げろ」と教えていた。防災授業のまえに、地震が起きたらどうするか? という問いに「親が帰るまで待つ」「お母さんに電話する」と答えていた小・中学生は、率先して逃げた。規定の避難所ではなく、もっと高台まで逃げた。「自分で見て、自分で判断して行動する」ことができた。人口の3%が亡くなった釜石市で、登校していた小・中学生の生存率は100%だった。確実に助かるためには、中途半端に対策をして安心するよりも、つねに危険を意識して暮らした方がよいのかもしれない。

有珠山には、噴火の直撃を受けた菓子工場など、悲惨な場所をあえて残しているジオパークがある。つらい記憶を思いだすことを避けたい気持ちは分かるが、未来に「逃げない」人をつくらないためにも三陸版のジオパークをつくって欲しい。その場所が海岸沿いに住む全国の小中学生の修学旅行先になれば、またとない教育になる。

原子力に怖さを感じていた理由の一つは「原発は絶対に安全です」という言葉だった。反対派との敵対関係のなかで、殻を閉ざし、正当性のみを主張する姿勢があった。柏崎刈羽原発の事故後に、自然災害による事故の危険性を東電幹部に伝えたが、返ってきたのは「原発は絶対に安全だから大丈夫です」という答えだった。

今後同じような事故を起こさないためには、単に誰かを批判するのでも、事実の後追いをし続けるのでもなく、今回の原発事故に学び、新たなことが起こるまえに問題提起をして、危険因子を取りのぞかなければならない。

いつでも、どこでも、いくらでも電気を使いたいという社会のニーズに原発は最適だった。それは議論の前提である。リスクとベネフィット、両方のバランスをみて、技術を活用していく必要がある。

日本人とは、自然災害から学んできた人びとのことである。
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南三陸町では震災のメモリアルとして庁舎を残す計画があったが、住民の反対によって、取り壊しが決まったそうだ。

3ヵ月の復興支援業務を終えて、東京に戻り、感じたことは、こちらではもう震災は終わっているんだな、と言うことだった。

「次」に「ここ」で起こる災害は、想定内だろうか。


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