2011年08月23日

被災農地から、世界をリードする新しい農業を

復興支援活動をしていく中でお世話になった仙台の農業生産法人『舞台ファーム』さんのwebサイトにて、東日本大震災のコラムを10回に渡って書かせて戴きました。順次転載していきます。これは6月15日に書いた、第二回目の記事。

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農林水産省によれば、東日本大震災の津波によって流失や冠水の被害にあった農地は推定23,600haである。市町村別に見ると、福島県の南相馬市が最も多く、2,722ha。ついで宮城県亘理町の2,711ha、そして舞台ファームがある宮城県仙台市の2,681haと続く。

23,600ha。

これは、東京23区の面積の約4割にあたる。どれだけの農地が被害を受けたか、少しイメージができたと思う。

海岸から500m圏内の農地は、津波によって土地そのものがえぐられた。3km圏内では建造物や車両などの残骸が残り、5km圏内ではヘドロが堆積している。これは、ただ塩水に浸かった。というだけではない。多くの不純物、汚染物質にさらされている可能性があるということだ。試みに小松菜を植えてみたが、赤く変色し、育つことは無かった。このような状況で、どうやって復興していくか。さまざまな取組が検討され、実施されはじめている。

例えば「水耕栽培」。最も有名なのは、1985年の筑波万博で展示された、ハイポニカ農法によるトマトだろう。土を使わず、水の温度やpH、肥料のバランスや濃度を常に一定に保ち、循環させることで最適な生育環境を維持し続ける。結果、トマトは大木となり、16,000個の実を付けた。キュウリの木には、3,300本の実がなった。

そもそも”土”には、「植物を支える」「水や肥料分の供給路となる」「肥料分そのものの供給源となる」「水、肥料、pHの貯蔵庫となる」といった機能がある。しかし、ハイポニカ農法は、”土”の発育阻害要因に着目した。それは「空気を保持しにくい」「水分を均一に空気とバランスを取りながら保持できない」「温度調節が困難である」「根の伸長に対して物理的な抵抗になる」という観点である。この逆転の発想から生まれた、ハイポニカ農法。施設の維持にはコスト面で課題が残るが、土が失われた被災農地にこそふさわしい農法かもしれない。

また「石油の栽培」も検討されている。農地で石油を産出しよう、という試みだ。

クロレラのような微少藻類の仲間には、有機物を吸収し、重油なみの油分をつくるものがいる。
そういった藻類をビニルハウスなどで大量に培養すれば、石油の抽出ができる。2010年12月に、筑波大学の研究チームが沖縄の海から発見した「オーランチオキトリウム」の1種は、従来の10倍の生産量を誇る品種だとして話題となった。「生産施設を約20,000haにすれば、日本の石油輸入量に匹敵する生産量になる」そうだ。

冒頭でも挙げた通り、今回の被災農地は23,600haである。ガソリンへの精製抽出技術や、なによりコスト面で多くの課題が残るが、これもまた一つのチャレンジである。

塩害につよい農作物の栽培もはじまっている。6月4日に岩沼市で定植が行われたのは「塩トマト」だ。もともと熊本県の干拓地で栽培されているこの品種は、糖度が非常に高い。またこの品種は、栽培地域の少なさもあって高級品である。栽培に成功すれば、農家にとってはチャンスとなるかもしれない。

「日本農業再生への道を歩み続けたい」舞台ファームでも、こうした取組と連動し、東北の農業を再建するために動いている。

「再建」とは、元通りに戻すことでは無い。今回の震災を機に、世界をリードする新しい農業モデルを構築するのだ。


2011年08月22日

ボランティア活動という”縁”

復興支援活動をしていく中でお世話になった仙台の農業生産法人『舞台ファーム』さんのwebサイトにて、東日本大震災のコラムを10回に渡って書かせて戴きました。順次転載していきます。まずは最初の記事。津波を被った家から、家財道具を運び出すボランティア活動をした体験をもとに書いています。

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6月1日、仙台市社会福祉評議会が運営する南部津波災害ボランティアセンター(若林区)が閉鎖され、北部津波災害ボランティアセンター(宮城野区)と統合した。

6月5日、岩沼市の避難所がすべて閉鎖され、最後の炊き出しが行われた。

あの日から、もうすぐ3ヵ月が経とうとしている。依然としてニュースには、被災地の状況、原発の対応などが取り沙汰されている。しかし、それはすでに”新しい出来事”でも”珍しい出来事”でもない。耳を通りすぎるようになっているのでは無いだろうか。もし、津波被害を受けた場所以外で日常を送っているのなら、なおさらだ。

この3ヵ月で、泥がキレイに取り除かれ復旧した場所も、もちろんある。例えば、仙台港の三井アウトレットパーク周辺。よくよく見れば、歩道のガードレールが曲がっていることに気づくけど、まさか津波がこんな所まで来たなんて、思われないだろう。

しかしそんな場所は、ほんの一部だ。依然として田んぼには、ひしゃげた軽トラックが残っている。
庭に、ビニールハウスに、そして、部屋の中にまだヘドロが堆積している。この泥を掻き出すのに、いったいどれほどの時間がかかるのか。試みに見積もってみよう。

まず、警察庁の発表資料によると、東日本大震災の津波により被害を受けた家屋のうち、
全壊を除く戸数は、宮城県・福島県・岩手県の合計で、50,265戸だ。

次に、屋内に進入した泥かきや、津波被害を受けた家財道具の撤去を、ボランティア6名で行った場合、3部屋分の清掃に約6時間かかる。床下の泥かきを抜いたとしても、だ。庭やビニルハウスの分も換算して、1戸につき15部屋分の作業量と仮定すると、6名で30時間だ。

では50,265戸の清掃にかかる時間は? 

ボランティアを毎日10,000人動員しても、
9,029時間かかる計算になる。

約112日の作業だ。

ちなみに、仙台市のボランティアセンターでは、1日に459人が最大参加者数だった。

まだまだ人手も時間もかかる。

舞台ファームは、独自にボランティアの受入を行っている。東京から週末、定期的に50名に来てもらい、泥かきや家財道具の撤去などを手伝っていただく。

その活動場所も、丁寧にヒアリングしてさがしている。中には、遠慮してしまってボランティア希望の申込書を出せない人もいるからだ。
「ビニルハウスの泥かき、大勢でやると早いね。本当にありがたい。ありがたい。」
そう言って頂ける。

この地に根ざして350年。我々だからこそできる農業再建があると考えている。ボランティア活動もそのうちの一つだ。

遠くからボランティアに来ていただく効果は、直接的に家や農地が片付く、と言っただけでは無い。
それは、東京と、東北との『縁』づくりである。

被災地に訪れ、臭いをかぎ、泥にまみれ、体験談を聞き、そして、やり尽くせないもどかしさを感じる。ボランティア活動とはそういうものだ。その思い出が、『継続』に繋がる。

誰かを誘ってまた来よう。ボランティアは大変だけど、市街地は観光に来よう。それでも良い。たとえば、野菜の産地が気になるようになって、東北の野菜を買うだけでも、生産者からしてみれば、本当にありがたいことなのだ。

もしこれを読んでいて、「何かやりたいけど、何をすればいいか分からない」という方がいたら、ぜひ我々の元に訪れて欲しい。あなたがやれることは、まだまだ沢山ある。


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