2011年08月31日

立ち上がる「食」事業者

復興支援活動をしていく中でお世話になった仙台の農業生産法人『舞台ファーム』さんのwebサイトにて、東日本大震災のコラムを10回に渡って書かせて戴きました。順次転載していきます。これは7月21日に書いた、第七回目の記事です。

「被災地」に行くことの意味。

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311から4ヵ月が経った。

ガレキやヘドロの撤去率は50%に満たず、危険区域と居住区・農地の線引きもまだ不十分だ。放射能の被害は、むしろ広がりを見せている。しかしそれでも、「壊滅」とすらささやかれている場所で、「食」を取り戻そうと懸命になっている事業者がある。

たとえば、南三陸町志津川の『かね久海産』。志津川は、高さ16メートルを超える津波に呑み込まれ、建物の被災率は60%を越える。特に海岸沿いでは、かたちの残っている建物は数えるほどだ。

『かね久海産』の高台にあった冷凍倉庫は、辛くも被害を免れた。そして、電気が復旧するまでの間は、発電機を冷凍のためだけに使った。自分たちの生活よりも優先して。

そうして守り抜いた、生わかめ・生昆布や海苔、削りたての花かつお・さばけずりなどの水産加工品――いまでは貴重な南三陸産だ――の水産加工品は、この仮設店舗で手に入る。

「何ヶ月もなにもしなかったら、お得意先ともども倒れてしまう」
名物であるウニの瓶詰めにラベルを貼りながら、須田専務はそう語った。

たとえば、山元町の『夢いちごの郷』。宮城県の東南端に位置する亘理郡山元町は、メディアに取りあげられる事こそ少ないが、海岸から1.5km以内の地域は新築の建物等が残存する程度で、ほとんどの建物が流出している。南三陸町の全壊戸数3,166棟に対し、山元町の全壊戸数は2,181棟だ。少ない被害では無い。

100軒以上あったイチゴ農園は、その9割以上が壊滅した。車両も機械もビニルハウスも直売所も苗も、すべて流されてしまった。

それでもいま、国道沿いに16アールの大きさの仮設営業所を建設すべく進めている。用地は自分達で探した。行政との話し合いを経て、着工間近だ。イチゴの苗も、蔵王の土地を借りて1,000本の株を育てている。花芽への分化には、低温に苗をさらす事が必要だが、そのための設備は破壊された。蔵王を選んだのは、平均気温が山元町に比べて低いからだ。

「イチゴ作ることしかできねえし」とは、イチゴ農家のひとり、菅野さんの言葉だ。
「イチゴだと、わざわざ遠くから来てくれるしね」とも。

もし、本当にこういった場所に足を運んだのなら、「壊滅」などという言葉は使わないだろう。

われわれ舞台ファームでは、毎月100名以上のボランティアを受け入れている。いずれも、東京発のボランティアツアー参加者だ。そして、津波被害を受けた周辺農家での泥かき等を手伝って頂いている。そのつど彼らに、帰ったら仙台の姿を伝えて欲しい、とお願いしている。

凄惨な有様も、立ち直りつつある現場も、平常通り営業している街並みも。何もかもがやられてしまったわけでは、ないのだから。

「わざわざ行く」
それだけでも、復興支援になるのだ。




2011年08月30日

支援を、そして、自立への手助けを

復興支援活動をしていく中でお世話になった仙台の農業生産法人『舞台ファーム』さんのwebサイトにて、東日本大震災のコラムを10回に渡って書かせて戴きました。順次転載していきます。これは7月14日に書いた、第六回目の記事です。

8月17日時点で、公民館や学校などの避難所8,646人の方が暮らしています。
(東日本大震災復興対策本部『全国の施設別の避難者等の数』より)


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「無料での物資提供はやめてほしい。自立の第一歩なのだから」
ニッペリア仮設住宅の管理担当者はそう語る。

避難所を離れて、家族で生活していく。仙台市若林区の運動公園「ニッペリア」内に建設されたこの仮設住宅での暮らしこそが、独り立ちのスタート地点なのだと。だから、タダで物を配るのでは無く、値段を付けて販売してほしいと。

舞台ファームはマルシェ・ジャポン センダイと連携して、仮設住宅への定期的な出張販売を実施している。先日は、荒井土地区画整理事業地にある仮設住宅「東通(ひがしどおり)仮設住宅町内会」での販売を行った。開店前に、キャベツやトマト、バナナや桃といった新鮮な野菜・果物を並べていると、20名以上の行列ができた。ここには仮設住宅194戸が完成し、約120世帯、250人が入居している。

「ふだんは車を持っている人に、買い物を頼んでいる」
そんな声を聞いた。

仙台市では、まもなく避難所が閉鎖される。4月12日には2,829人だった避難者数も、3ヵ月たって295人にまで減少した。仮設住宅での暮らしが、各地ではじまりつつある。

仙台市の中で最も被害の大きかった場所の一つ、荒浜地区では、建物のガレキは大部分が撤去され、基礎を残すのみとなった。塩を被った畑は、しかし一面に雑草が生い茂っている。夏空に緑が映えて、一時期に比べれば安堵できる光景だ。たとえ、その下には、ゴミやヘドロが覆い隠されているのだとしても。

「更地になって、ようやくゼロ地点。ようやくスタート」
市のある職員は、そうつぶやいていた。

だが、仙台を離れると、状況は一変する。避難者の数を見れば一目瞭然だ。石巻市は4,209人。南三陸町では2,360人。気仙沼市では2,015人。宮城県全体では12,932人と、4ヵ月経過したにもかかわらず、1万人以上が避難所で暮らしている。

すべての人がスタートラインに立つには、まだ時間がかかる。もちろん、支援物資も必要だ。

我々は、仙台市・石巻市・気仙沼市・女川町・名取市・山元町・亘理町・福島県相馬市など、
計47ヵ所に、110トンを越える物資を届けてきた。提供した炊き出しも、累計で22,000食以上だ。つい最近も、気仙沼市へ夏服やサンダル・生活家電を運搬した。避難所に入れず、物資を受け取れない「自宅難民」の方々に対してだ。

124日が経った。

すべての人がスタート地点に立てるような支援を、そして、自立への手助けを。舞台ファームは「継続」していく。


2011年08月29日

マルシェ・ジャポン センダイ

復興支援活動をしていく中でお世話になった仙台の農業生産法人『舞台ファーム』さんのwebサイトにて、東日本大震災のコラムを10回に渡って書かせて戴きました。順次転載していきます。これは7月7日に書いた、第五回目の記事です。

仙台の、青空市場。

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アーケードの両脇に、30を越えるテントが並んだ。白地にピンク。とんがり帽子のオシャレなつくり。中をのぞくと、木箱に、野菜や果物・お菓子やパンがお行儀よく整列している。お店の人が、ちょっと恥ずかしそうに、いかがですか、と勧めてきた。映画『アメリ』を思わせるBGMが、どこからか聞こえてくる。オーガニックコーヒーのカップを片手に、お喋りしながら、ほんのりとした買い物が楽しめる。

マルシェ・ジャポン センダイ。

マルシェ・ジャポンは生産者と消費者を結ぶために、農林水産省が立ち上げた事業で、生産者直営の市場だ。現在、全国18ヵ所で開催している。ちなみに、”マルシェ” はフランス語で「市場」という意味。仙台では、我々舞台ファームと、仙台放送が運営にあたっている。

震災当初、流通がストップし、市内で食料品が欠乏する中、まっさきに営業を再開したのが、このマルシェ・ジャポン センダイだった。舞台ファームの倉庫から備蓄を放出し、避難所などで炊き出しを行う中で、すべての人が食を求めていると実感をした。

「いまマルシェをやらないで、いつマルシェをやる……」

そう決断し、電話が繋がる地区の店舗に声をかけた。再開時は、わずかにテントが10張り。いつもの1/3の出店者しか駆けつけることができなかったが、商店街のアーケードをぐるりと1周するほどの行列ができ、人びとはこぞって食料品を買い求めた。それから、途切れることなく、毎週末、マルシェは開催されている。

また、この青空市場には、被災した商店も出店している。たとえば、南三陸町の及善商店。もともとは南三陸の志津川地区で、カマボコの生産など、水産加工業を営んでいた。しかし、工場や住まいがすべて津波により流失。再起をかけて、仙台市場から仕入れた商品をマルシェで販売している。
「とにかく前を向いて走り続けるしかない!!!」という、強い気持ちが、そこにある。

「食のあるところには、笑顔がある」
その思いをかみしめて、お客さんと笑いながら、営業をしている。

マルシェジャポン センダイは、毎週木曜日から日曜日に、仙台市のサンモール一番町商店街で開催している。ぜひ、あなたも遊びに来て欲しい。


2011年08月25日

「食」の価値を伝える

復興支援活動をしていく中でお世話になった仙台の農業生産法人『舞台ファーム』さんのwebサイトにて、東日本大震災のコラムを10回に渡って書かせて戴きました。順次転載していきます。これは6月29日に書いた、第四回目の記事です。

失われたものと、伝えるべきこと。

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東日本大震災により、農業・漁業・畜産業・林業が受けた被害の総額は、1兆9,596億円である(6月26日 農林水産省発表)。この被害額は、阪神大震災の22倍だ。

農業分野では、畑や田んぼにガレキやヘドロが堆積し、ビニールハウスや耕耘機・トラックが流失した。農道や水路も失われた。漁業分野では、漁船・漁港はもとより、養殖施設や水産加工場・市場が損壊した。

失われたのは「つくる」基盤だけではない。「つくったあと」の流通・販路のシステムまでもが崩壊したのだ。極端な話、いままでは美味しいものを作りさえすれば稼げていた。農協や市場に持っていけばよかった。ところが、その仕組みが無くなってしまった。

この状況の中、『東北の「食」を守る』をコンセプトに、発足したのが『東の食の会』である。代表理事を楠本修二郎氏(カフェ・カンパニー株式会社)と島宏平氏(オイシックス株式会社)が務めるこの団体は、東北の生産者と、飲食店や食品関連企業をマッチングしていく。

我々舞台ファームも「ササニシキ復権」と題して、宮城のブランド米を今秋プロモーションしていく予定だ。「買い支え」をしていただくことは、商売人にとって、これほどありがたい話は無い。

しかし、消費者にとって「被災地の農産物」を食べる不安は根強いだろう。

「あまり過度に反応してはいけないと思いつつ、やはり連日の原発報道や、放射能が検知された食品に関してすごく気になります。正直なところ本当に、東京で今売っている野菜や、食品は大丈夫なのでしょうか?うちには小さい子供もいるので、野菜や牛乳を買うのを止めようかとも思ってます。」Q&Aサイトの『OKWave』内での質問だ。

また、『SankeiBiz』によると、横浜市が、学校給食に使う食材の放射性物質(放射能)の測定を6月16日から開始したそうだ。『同市では給食の食材に福島県産や茨城県産など被災地の野菜や肉を使っており、保護者からの「放射性物質の検査をしてほしい」との要望に応えたものだ。』記事にはこう書かれている。

どの食品が「汚れていて」、どの食品が「汚れていない」のか。何よりもいま、この情報が求められている。

舞台ファームは、農産物を生産し、販売するものとして、この放射線検査を実施していく。測定を毎日行い、野菜にその情報をプラスする。徹底した情報の提供は、価値の向上に繋がるだろう。放射線量測定は自社の畑だけでなく、各地の農業生産者と連携して行う。伝え続けることで、東北の信頼を”再建”する。

伝えるべきは、「放射線量の有無」だけではない。

この震災は、多くのことを私たちに教えてくれた。

ある解体業者の社長はこう語る。
「一番先にやらなければならない最前線の仕事だった。業界の存在意義を考えさせられた」
人を救う。道を作る。ものを運ぶ。町を治める…………

自分たちの仕事の意義を、改めて見出せた方も多いのではないだろうか。

舞台ファームが避難所に届けた食料は、「笑顔」となった。「生きていける」。その喜びとなった。それが「食」の価値だと、教えてくれた。この気づきを、次は、私たちが発信していく。それができてこそ、新しい農業モデルといえるだろう。



2011年08月24日

再建の追体験

復興支援活動をしていく中でお世話になった仙台の農業生産法人『舞台ファーム』さんのwebサイトにて、東日本大震災のコラムを10回に渡って書かせて戴きました。順次転載していきます。これは6月23日に書いた、第三回目の記事。

いまの日本で、「なにもない」から何かを作り上げる体験ができる被災地は、貴重な場所だと思うのです。

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「沖合に海水と岩の群をまくし上げた海面は、不気味に盛り上がった。そして、壮大な水の壁となると、初めはゆっくりと、やがて速度を増して海岸へと突進しはじめた」

『三陸海岸大津波』の一節だ。

このルポルタージュは、2011年3月11日に発生した東日本大震災による津波被害を描いたものでは、無い。

1896年6月15日に発生した明治三陸地震、1933年3月3日に発生した昭和三陸地震、そして、1960年5月22日に発生したチリ地震による津波被害を、吉村昭が克明に記録した作品だ。明治三陸地震では、海抜38.2mの高さまで津波が到達したという。

115年前の津波は、今回の大震災と同様の規模であった。しかし、どれだけの人がそれを語り継いだだろうか。

東日本大震災から、100日以上が経過した。3月12日(土)時点で、YAHOO!ニュースのトピックスにおける震災記事の割合は91%(30/33記事)だったが、6月12日(日)では13%(7/54記事)に減っている。すでに震災は目新しいものでも、新しいものでもない。“ニュース”ではなくなりつつある事が分かる。

「まだこんなに辛く苦しいのだから、被災地のことを忘れずに助けて」とは言わない。

こう言おう。
「もったいない」

我々は、再建を体験する。

1次産業が見直され、まったく新しい先進的な農業モデル・漁業モデルが構築される。ガレキのリサイクルから得たノウハウを元に、静脈産業と動脈産業をミックスした循環型社会が生まれる。リスクを極力減らせる地域コミュニティの緩やかなネットワークが誕生する。

2,000万トンのガレキとヘドロを少しずつ取り除く今日は、5年後・10年後のためにこそある。このチャレンジこそが、財産だ。それをいっしょに感じて欲しい。

離れていても、ストーリーを共有することはできる。

舞台ファームでは「復興カレーセット」という商品を企画している。専門店のレトルトカレールウと、東北の肉・野菜セットだ。野菜の皮をむいて、適当な大きさに切って、煮込むだけで レストランの味が楽しめる。

休日、子どもいっしょに、家族でわいわい言いながら作って、食べて欲しい。そのとき、被災地のことを話題にしてもらえたら。「東北の野菜って美味しいね」と笑顔になってもらえたら。それがきっと、復興という体験だ。

10年後、いまを振り返って、いっしょに笑おう。